トップ

昭和44年(1969年)第41回選抜高等学校野球大会の優勝旗

   「昭和44年(1969年)第41回選抜高等学校野球大会の優勝旗」

 三重高校の玄関ホールには現在活躍しているクラブに授与された優勝旗がいくつも飾られています。その端に、とりわけ古く傷みの目立つ優勝旗が置かれています。これは、今春の第84回選抜高等学校野球大会への出場を記念して、昭和44年(1969年)の第41回選抜高等学校野球大会の優勝旗のレプリカです。



    「第41回選抜高等学校野球大会での三重高校」

 三重高校は昭和41年(1966年)春、第38回大会で念願の甲子園初出場を果たしましたが、全国の壁は厚く、翌昭和42年も甲子園で勝ち進むことができませんでした。しかし、昭和43年夏からは三重高校は上西博昭投手と中田和男捕手(主将・現部長)のバッテリーで3季連続して出場、夏にはベスト8まで勝ち上がり、翌昭和44年の第41回選抜大会では初優勝を達成しました。
昭和44年3月27日、開会式に続く始球式で坂田道太文部大臣が投げた球を中田主将が受け、三重高校ナインは直後の第1日第一試合に臨みました。三重高校は初戦の向陽高校に3-1で勝つと、続く平安高校を6-2で、尼崎西高校を4-3で、準決勝では浪商高校を2-0で下し、決勝戦へと駒を進めました。
 期間中の雨のため大会は2日遅れ、決勝戦は春の陽射しがまぶしく輝く4月6日に行われました。1塁側ベンチに腰を下ろした三重高校の選手14人は、同じく全国の頂点を目指す堀越高校(西東京代表)を迎えました。
 最上段まで観客で埋まった球場は試合前から歓声に包まれました。アルプススタンド中央では三色旗が揺れ、最上段では大漁旗が舞う中、主審が右手を上げ試合開始を告げました。先攻の三重高校は先頭打者大野が初球をサードに強く打ち返し、強襲ヒット、試合開始を告げるサイレンが鳴り終わるまでに1塁に出塁しました。このヒットが全員攻撃の合図であったかのように、ヒットと盗塁を重ね、1回に4点、続く2回・3回にも加点し、3回の表が終了した時には早くも6点を奪う猛攻を見せました。それでもなお三重高校は攻撃の手を休めず、村井洋児監督と梅村光弘部長(後の梅村学園副総長)のナインへの指示は止むことなく続きました。試合終盤8回表には9-0と一方的な展開になるも、さらに中田主将のスクイズから3点を追加し、12-0としたのでした。9回の相手の攻撃をも打者3人をフライに打ち取り、その強さを全国に印象づけた三重高校は紫紺の大優勝旗を手に松阪に凱旋したのでした。

 大会初戦である第1日第一試合に出場した三重高校は大会を締めくくる決勝戦まで、堅い守備と総得点27点にもなる攻撃力、また2塁・3塁への盗塁など、どの面から見ても全国一の実力を発揮したチームでした。この12-0の得点は平成18年に横浜高校に破られるまでの23年間、決勝戦で相手チームを完封しての最多得点差として記録に残るものでした。

 翌昭和45年の春にはベスト8まで駒を進め、「三重には三重高校の他なし」と全国に知られるようになりました。平成4年には春夏連続出場を果たし、どちらも準々決勝まで勝ち進んでいます。

 この年(昭和44年)は、アポロ11号の月面着陸、東名高速道路全線開通、東大安田講堂攻防戦があり東大の入試が中止された年でした。野球界では巨人の金田正一投手が400勝を達成し、相撲界では大鵬・琴桜が、そして若い北の富士が活躍した年でした。


 三重高校優勝時の動画は下記のサイトで見ることができます。
You Tube「第41回センバツ高校野球(昭和44年) 決勝戦 優勝 三重高校」



三重高等学校
2012/02/24

戻る